連日、酷暑が続く中、
私として
珍しく連続2日間
路線バスに乗る
経験をしました。
サラリーマン時代、
東京都内であれば
鉄道網が発達しているので、
路線バスに乗ったという
記憶はあまりありません
でしたが、
“使いこなせる”と
確かに便利です。
その2日間連続で
路線バスに乗った時の
経験で考えさせられることが
ありましたので
シェアさせて頂きます。
第1日目;
そのバス路線は
人気路線のようで、
長蛇の列でした。
おそらく30名以上は
バス停に並んで
待っていたと思います。
やはり、炎天下の中、
ジリジリと強い日差しによって、
肌が焼けるような
感覚がありました。
そして、やっと我々が
乗車するバスが
やってきたのですが(始発)、
バス停の少し手前で
停車して出発時刻が来るまで
扉を開けることなく、
アイドリングをしながら
出発時刻まで
誰も乗せずに
停車していました。
そして、
規定時刻が来たので
扉が開いて、灼熱炎天下で
待ち続けていた
人達がなだれ込むように、
クーラーの効いた室内に
涼を求めていました。
そして、
とある乗客と運転手の
やり取りが気になったんです。
乗客「みんな暑い中、
我慢して待っているんだから、
あと5分早く扉を開けろよ。」
運転手「・・・・・・・・・・」
乗客「こんな暑い中、
待たされたら熱中症に
なっちゃうぜ!常識を考えろ!」
運転手「・・・・・・・・・・」
この乗客は、
よっぽど暑い中
待たされたこと、
そして直近に来ているのに、
出発時刻まで
さらに待たされたことに
大変ご立腹の様子でした。
第2日目;
この日も始発バス停から乗車。
乗客が乗り込んで、
出発時刻まで
停車していました。
その際、
なんと
このバスはアイドリングすることなく、
クーラーをつけることなく、
出発時刻まで停車していました。
乗客の中で、
特に運転手に
抗議する人も
現れず、
照り付ける灼熱炎天下、
バスの中はサウナ状態で、
座ってじっとしている
だけなのに
大汗が噴き出てくる
ような状態でした。
私はこの両日の体験を
させて頂き、
何かメッセージをもらっているように
感じました。
“正しいのは、どっち?”
1日目のとある乗客の
主張からすれば、
“お客さんのことを考えて、
出来るサービス行うべき”
“乗客
みんな炎天下
待っているんだから、
早めに扉を
開けて涼しい室内を
乗客に開放すべきだ”
などあったでしょうし、
バス運転手の
主張からすれば、
“社内規定の
顧客サービスの
ルールに従っただけ”
“私だけ社内規定から
逸脱したことはできない”、
また2日目の
乗客側の主張は
私を含めて、
“炎天下待っていたのだから、
バス室内は
涼しくしておいて、
それぐらい常識でしょ!”、
またバス運転手側からすれば、
“排気ガス規制から
アイドリング禁止だから・・・”
“エンジンかけずに、
クーラーだけ作動させたら
バッテリーがあがってしまう、
だから、
エンジンをかけない限り、
クーラーを作動させることは
出来ない”
などお互いに、
それぞれが正当性を
主張する論理があり、
それぞれに“正義”で
あったと思います。
顧客サービス/おもてなしの
観点からと社内規定ルールの
観点からです。
お互いご自身の
正当性・正義を
主張したとしても、
合意することはおろか、
妥協点さえも
見出すことができない状況を、
私が経験させて頂いて、
“正しいのは、どっち?”
という問いから
考えさせられる事は、
“正義・一般常識って何?”って
いうことでした。
人間がある
共同体(家族・市区町村内会・
都道府県・日本・
アジア・世界など)
に属すると、
その共同体にメンバーとして
守らなければならない
“会則”があると
思います。
その会則は明文化されて、
遵守を促されているもの
があれば、
まったく明文化されておらず、
暗黙の会則もあります。
どちらも、
破るもしくは破ろうとすると、
罪悪感(恐怖)を
持たされて、
遵守されるように
仕向けられてしまいます。
この状態(会則を守る)が
長期間に渡ると、
最初は意識的に
守っていた会則が、
いつの間にか
ほぼ強制的に、
無意識的に
守らされているように
なってしまっていて、
ご自身はその状態に
一切気付かないことが
発生するわけです。
その会則は、
“決まり”
“約束事”
“ルール”
“校則”
“社則”
“条例”
“法律“
”憲法”
などと呼ばれて、
金科玉条として、
人間はそれに従うことで、
その共同体に属する限り、
あなたを絶対安全へと
導いてくれる錯覚に
陥ることが出来ます。
でも、これら
“金科玉条”は
所属メンバーの
過半数の人達の
(固定)観念であり、
絶対的は事実・正義ではない
ということが
ご理解頂けると思います。
絶対的真理なんて
存在しないんですね。