中庸;真ん中にいること②

前号では、

物質的社会;

 

現代社会の欲望

(名誉・地位・名声・

権力・お金など)に

 

汚染された私自身が

“優秀な人材である”と

 

承認されたいと思っていた。

 

なぜなら周囲から

 

“できない人間だ”

“あいつは無能な奴だ”

“付き合う価値はない”

 

などと思われることが

怖かったから・・・・。

 

この状態は、恐怖心が

私自身を

 

乗っ取った状態であり、

全くありのままの

 

自分自身ではない状態で、

前号では自分自身を

 

持たない

“物質社会の奴隷”

 

状態と形容しました。

また、その後も

ワーカホリック(仕事中毒)、

 

原因不明の激痛が

続いていた時に、

 

霊性(スピリチュアリティ)

にも乗っ取られて、

 

チャネリング、

ヒーリング、占い、風水、

 

パワーストーン、など

諸々に取り憑かれていきました。

 

 

この時も

 

“原因不明の

激痛から逃れたい”

 

“みんなから避難されている

状態から逃れたい”

 

など

 

強い恐怖心があり、

りのままの自分自身では

 

全くなかったと思います。

 

前号では、

自分自身を持たない

 

霊性の魔力の奴隷”

と形容しました。

 

どちらの状態も、

不安・恐怖の感情に

 

よって汚染された

私であり、本当の私、

 

ありのままの私では

ありませんでしたし、

 

その状態に

一切気が付いて

 

いませんでした。

 

そして、今、現在、

 

“物質社会の奴隷”

“霊性の魔力の奴隷”

 

を経験・体験したことで、

 

“ありのままの自分”

“自分らしさ”

 

という状態がどのような状態で

あるのか、

 

なんとなく感覚で

理解・認識出来るように

 

なってきました。

 

記憶や情報に頼らずに、

 

“ありのままの自分”

“自分らしさ”

 

の自分自身を

表現することが、

 

とても高いパフォーマンスを

発揮するのに

 

必要であると感じています。

 

創造性や能力開発が

なされる瞬間は、

この

 

“ありのままの自分”

“自分らしさ”

 

の自分自身で

居る時だと思うのです。

 

そうです、

 

この状態が

中庸(ちゅうよう)

 

あることだと思います。

例えば、

 

私は

 

心理カウンセリング/セラピスト

 

職業としています。

 

相談にいらっしゃる

クライアントの相談内容は、

 

多種多様であり

パターン化すること

 

自体無理があると

考えています。

 

確かに、

今までに勉強した

 

NLP(神経言語プログラム)や

コーチングなどの知識を使えば、

 

このタイプのクライアントは、

過去の事例に基づくと、

 

”自己重要感に関連する

質問をすればいいじゃないか“

 

とか

 

”親との愛着に関する質問を

すればいいじゃないか“

 

とか

 

”人間関係に関する質問を

したらいいじゃないか“

 

などの記憶がアイデアとして

思い浮かんできます。

 

また、以前に見学した

心理セラピーで、

 

このような事例では、

確かこういう欲求があって、

 

その欲求が

満了されていないから、

 

現状の症状として

残っているんじゃないか、

 

であれば、

 

あの時はこんな感じで

心理セラピーが

 

すすめられていたかな・・・

とかを

 

思い出しながら、

以前は心理セラピーを

 

実施していました。

 

心理カウンセリング/セラピスト

として、

 

“クライアントにとって最良の

結果を持ち帰ってもらいたい”

 

“悪状況が好転して欲しい”

 

“生き辛さ・苦しさから

解放されて欲しい”

 

など思いを持っています。

 

ですが、なぜこのような思いを

持つことになったのか、

 

答えは単純明快で、

 

“クライアントから

私が心理カウンセリング/セラピスト

として、認められたい”

 

“心理セラピーを失敗したくない”

 

“クライアントから信頼されたい”

 

“失敗して、クライアントを

傷つけたくない”

 

などが浮かび上がってきます。

 

これらは全て私の欲望;

エゴであること

 

ご理解頂けると思います。

 

以前の

私は自らの欲望;エゴに

 

乗っ取られて、

過去に勉強した

 

知識・情報、見学した

経験記憶を回想してばかりで、

 

本当の意味で目の前に

いらっしゃるクライアントを

 

見ていない状況で

心理セラピーを

 

行っていたと思います。

 

ですから、

心理セラピー中の

 

私が感じていたことは、

ありのままの自分が

 

感じたことではなく、

 欲望;エゴに

 

捻じ曲げられた

感覚・直観であり、

 

 これらを基に

心理セラピーを行っても、

 

うまくいくはずがありません。

 

ですから、私が

 

心理カウンセリング/セラピー

行うにあたって、

 

もっとも心掛けていることは、

やっている最中は

 

中庸(ちゅうよう)

あることです。

始まる前には、

上記でお示しした

 

“クライアントにとって

最良の結果を

持ち帰ってもらいたい”

 

“悪状況が好転して欲しい”

 

“生き辛さ・苦しさから

解放されて欲しい”

 

 

など思いを持っていますが、

いざ始まったら、

 

“結果は求めない”

 

“うまくやろうと思わない”

 

“順序・やり方にこだわらない”

 

など自分自身に呟いて、

 

 中庸(ちゅうよう)で

あることを心掛けています

 

その状態が結果的に

クライアントに最適な結果を

 

導き出すと思うからです。

 

それでも、やっている最中、

いまでも欲望;エゴの誘惑は、

 

常に私を乗っ取ろうとしてきます。

 

たまに、誘惑に

負けてしまう時だって

 

いまだにあります。

 

欲望;エゴの誘惑とうまく付き合って、

心理カウンセリング/セラピーを

 

行うことは、本当に

難しいことだと思います。

 

ただ、中庸(ちゅうよう)で

あることは、私自身も

 

そうですが、クライアントにおいても、

最も人間の能力を

 

開花させられる状態であり、

多種多様な悩みに

 

対応することが出来るので、

わざわざ外部から

 

知識・情報を記憶として

ため込む必要など

 

さらさらないことが

理解できます。

  

理論では理解できても、

我々、人間には

 

毎瞬、欲望;エゴの誘惑

があります。

 

全く否定することは、

違っていると思いますし、

 

受容して、乗っ取られることも

違うと思いますし、

 

中庸(ちゅうよう)であるって、

難しいですね。