スマホマナー電車広告

最近、

家ではテレビを見ないので、

 

“世間では何が

流行りなのか!?”、

 

私が判断する材料として、

注意してみているのが、

 

電車広告なんです。

 

“電車広告”

 

 

“書店平積みコーナー”

 

は、世相を

よく反映していると思って、

 

観察しています。

 

先日、たまたま電車内で

見つけたスマートフォン

 

社内使用についての

マナー広告で

 

“即レスしなかった程度で

失われるものを、

友情とは呼ばない”

 

という広告を見つけました。

 

これを読んでみて、

少し思うところ

 

ありましたので、

書いてみたいと思います。

確かに、

スマホ使用人口が

 

増加する

(添付グラフ参照)

につれて、

 

 

歩きスマホ中、

電車や他人との接触での

 

事故やトラブルも

増加傾向にあると感じます。

 

電車社内での

使用マナーについても、

 

マナーを逸脱した

使用からここでも同じことが

 

言えると思います。

 

 

では、駅構内での

スマホ使用についての

 

注意喚起・啓蒙活動等が

始まったのは、

 

つい最近のことなのか、

と疑問をもちますが、

 

皆さん、ご存知の通り、

携帯電話使用や

 

スマホ使用のマナーは、

駅構内で

 

耳にタコができるほど

お聞きになっていること

 

と思います。

 

では、

 

なぜ事故・トラブルが

後を絶たないのか、

 

という疑問が湧いてきます。

 

さんざん駅構内放送でも、

電車内、駅構内広告でも

 

注意喚起されている

にもかかわらず、

 

なぜマナーを守ることが

出来ないのか・・・・。

 

過半数勢力が

ルールを作る!?

 

まずはスマホ使用者側

からの意見でしたら、

 

“みんな、(スマホ)

やってんじゃん、

私だけじゃない”

 

とか、

 

“ちょっとぐらいいいでしょ

(誰かに迷惑を

掛けている

訳じゃないし・・)!?”

 

のようなココロのつぶやきが

あると思います。

 

個人を特定されるような

状態であれば、

 

通常は社会生活を

営む上で所属している

 

コミュニティ

(家族・学校・

 

会社・地域など)に

制定されている

 

ルールを遵守させられる

メカニズム

 

が働いています。

 

 

それは、

 

“そのルールを破ると

罰則・ペナルティーが

 

与えられる”という、

恐怖心・罪悪感を

 

煽ることから、

そのルールを

 

遵守されるように

仕向けられている

 

のは、

 

少し思いを

巡らせて頂ければ

 

心当たりがあるかと

思います。

 

ところが、

 

電車内、駅構内で

あれば、不特定多数の

 

人達がそれぞれの

事情・状況に応じて、

 

スマホを使わざるを

得ない場合が

 

あることだと思います。

 

自分の周りに、

本来、制定されている

 

ルールを堂々と破っている

人達が

 

過半数以上いたなら

 

(その場所では、

一時的にスマホを使用OKという

錯覚に陥ったとしたら、

例外が存在するとしたら)、

 

 

ルールを守らせる

強制力としての

 

恐怖心・罪悪感が

煽られない状態になり、

 

ルール遵守化を

統制が出来なくなるんだ

 

と思います。

 

つまり、その場、その状況

において、

 

過半数を占めた

グループのルールが

 

“正”になる

ということですかね・・。

 

“見捨てられ不安”に

勝る行動原理はない

 

そして、もう一つ、

指摘しておきたい

 

行動原理は、

“見捨てられ不安”

 

だと思います。

 

 

この行動原理で

スマホを使い続けざるを

 

得ない状況に、

無意識的にも、

 

意識的にも

置かれている人達が

 

存在すると感じます。

 

心理カウンセリング・セラピーの

世界では、

 

境界性パーソナリティ障害を

説明したテキストには、

 

必ずといっていいほど

掲載されている

 

“見捨てられ不安”

という単語。

 

これは、心理的に

人とつながっている

ということが

まったく実感できない

人達が、

目に見える形

(メールの回数、

文章量、

相手の反応スピードなど)

 

 

使って、

人との繋がりを

 

実感しようと試みますが、

決して心が

 

満たされることはなく、

執拗に、また強迫的に、

 

その行動を

やり続けて

 

しまうというものです。

 

だって、人から

繋がりを切られるほど、

 

怖い事はないと

思い込んでいるからです。

 

ですから、

このタイプの人達は、

 

どんな状況であっても、

人に見捨てられる

 

ぐらいならば、

 

見捨てられる恐怖を

感じるくらいならば、

 

たとえ遵守すべき

制定されたルールが

 

あったとしても、

遵守させる強制力は

 

全くないのだと思います。

 

人から

見捨てられないための

 

ルールが

最上位概念である

 

と思います。

 

例えば、

 

全く結果を急ぐ

必要性がない

 

スマホゲームを

やっている人達ですが、

 

集団対戦型と

なってくると話が

 

違ってきます。

 

私の関心領域には、

“依存症”があり、

 

近年、問題になっている

インターネット・

 

スマホゲーム依存症に

なってしまう

 

過程では、

 

集団対戦グループメンバーに

見捨てられることが怖い、

 

人との繋がりを

感じ続けたいという

 

感情がその人を支配

 

してしまい、

途中で止められない、

 

トイレにいけず、

膀胱炎になってしまう、

 

などの

状況作り出してしまう

 

訳です。

 

また、

 

学校においても

“スクールカースト”

 

なるルールで

生きている学生には、

 

スクールカースト内で

運用されている

 

ルールが最上位であり、

電車内・駅構内での

 

ルールの効力は

これまた弱いものに

 

ならざるを得ないと

感じます。

 

企業において、

 

会社の利益・

売り上げ至上主義の

 

サラリーマン

にも同じことが

 

いえると思います。

 

これだけ見てきても、

 

如何に恐怖という感情が

人間を動かしているか、

 

ということが理解して

頂けると思います。

 

恐怖感情は

人間が生きている

 

上で必要です。

 

ですから、恐怖感情を

失くしてしまうような

 

心理セラピーは

間違っていると思いますが、

 

あまりにも敏感に

反応しすぎて、

 

生き辛いという方が

いらっしゃいます。

 

そのような方は是非、

私に相談してください。

 

お待ちしてます。