期待通り/期待はずれ

年末に久々に

我慢できないほどの

 

片頭痛に襲われました。

 

しばらく、

安静にしていましたが、

 

頭が鈍く、

“ガン、ガン、ガン、ガン”

 

っと痛い。

 

なるべく薬を

飲みたくないので、

 

水を飲んでみたり、

甘いものを

 

たべてみたりしましたが、

全く効果がなく、

 

最終的に仕方なく、

ういう時のために

 

常備している

鎮痛剤を飲んでみたら、

 

あれだけ痛かったのに、

“あっという間”に痛み

 

がなくなりました。

 

使用者は、使用時に

鎮痛剤の効果として、

 

“これを使用すれば、

痛みから解放される”

 

という期待を

持っていますよね。

 

今回は期待通りに、

痛みから解放されたので、

 

期待通りだった、

期待を裏切らなかった、

 

ということになりますね。

 

別の事例で、

先日、外出した際、

 

夜ご飯を食べるため

超有名ラーメン店

 

に入店しました。

 

 

ひと通り注文をして、

お目当てのラーメンを

 

食べて、

博多ラーメン特有システム

 

“替え玉”を注文した際、

見事に期待は

 

裏切られました。

 

いつまで経っても、

“替え玉”がこないんです。

 

時間が経つにつれて、

だんだん満腹感が

 

強くなってしまい、

改めて注文が

 

通っていないこと

指摘すると

 

すぐに出てきたのですが、

満腹感が頂点に

 

達していて一口も

食べられず店を出ました。

 

注文した“替え玉”が

タイミングよく提供

 

されなかったこと、

店側のミスで一口も

 

食べられなかった

“替え玉”分の料金まで

 

請求されたこと、

期待が本当に見事に

 

裏切られたのです。

 

私の期待は、

注文後、すぐに“替え玉”が

 

提供されると思っていた、

食べられなかった

 

“替え玉”分

料金請求されない

 

というもので、

その通りにはならなかった。

人間が持っている

能力のひとつに、

 

“期待する”

というものがありますよね。

 

“期待する”;

 

人物、物、事象などに

対して、自分の思い描いた

 

理想・イメージを作りだし、

その状態が実現するだろうと

 

考えることです。

 

そして、この“期待する”

という行為は、

 

人間、常にやっているもしくは、

やらされているんだと思います。

 

自分自身が“正解で

あると信じて疑わない

 

ルールを作り上げてしまいますが、

作り上げたこと自体には

 

通常では気が付きません。

 

例えば、

 

“他人との約束時間は

絶対に守るべき、

 

だから、約束時間よりも早めに

待ち合わせ場所に

 

到着していて当然”

 

であることを

正しい・正解

 

と信じている人達にとって、

時間を守れない人達は

 

信じられないし、

腹が立つと思います。

 

それは、相手に

 

“約束時間を守ってくれる”

と期待しているから

ですよね。

 

でも、

 

期待する理想像/未来像

って、一体どこからきている

んでしょうか?

 

これは、

 

その期待する人の(成功)体験

によるんじゃないかな

 

って思います。

 

過去に、その期待する方が

あることに成功したことがある、

 

もしくは成功させようと

心血注いた経験・体験があり、

 

それなりの結果を

出したことがある、

 

もしくは成功させようと

一生懸命努力してみたけど、

 

失敗に終わった、

屈辱を味わったと思っている、

 

その方は、周囲の方々にも

同じ結果が出せるように、

 

もしくは失敗しないように、

期待してしまう。

 

期待する人は、

(成功)体験を

 

もっているから、

 

“これだけの努力量をしたら、

あなたにも出来るのよ

(私の期待に応えて)”

 

“出来ないのは、

あなたの努力量が

足りないだけ、

だから、もっと頑張って!

私の期待に応えて)”

 

“結果が出ないのは、

あなたが怠慢だから。

だから、真剣に努力して!

(私の期待に応えて)”

 

なんて、よく以前、

私は思っていました。

 

この期待する基準が高く、

 

そして

それを多く持っていればいるほど、

 

人間関係が劣悪に

なっていくと思います。

 

上記のラーメン屋事例のように

期待応えてくれない他人は、

 

怒りの感情を誘発し続ける

ことになるからですよ。

そして、この期待の仕組みが

-娘間で

 

非常によく起きると

感じています。

 

お母さんが娘に、

“私が、幸せであったように、

 

(もしくは幸せでなかったので)、

あなた(娘)も(には)

 

幸せであって欲しい”

 

期待をする訳です。

 

まず、前者であれば、

お母さんは自分が

 

親からされていたことを全て

強制的に

 

娘にやろうとします。

 

そして、少しでも

抵抗されると、

 

恐怖心を煽って、

無理やり従わせようとします。

 

そして、事ある毎に、

 

“これはあなたのためなの!”

“~~~ができない子は、

うちの子じゃありません!”

 

といって、場合よっては、

暴力的にお母さんの

 

期待に沿った生き方を

選ばせることがあり、

 

また後者の場合は、

お母さんは

 

幸せじゃなかったから、

あなた(娘)には

 

絶対そうなって欲しくない、

と思って、上記のお母さんと

 

同じように娘に対して、

強制的に、恐怖心を煽って、

 

従わせようとします。

 

結果として、娘が成長した時に、

 

”自分のことを親の期待に

添えていない親不孝もの”

 

“物事を自分で考えられない”

 

“考えようとするとザワザワする”

 

“自分の考え・行動を

信じることが出来ない”

 

“周りの人達の期待に

沿えない気がするので、

何もできない、したくない”

 

などの症状として顕在化する

のだと思います。

 

期待・イメージは、使い方次第で、

目標達成とって

 

有効な手段になると思います。

ただ、期待が過ぎると、

 

害悪になってしまいます。

 

他人の期待が凄く重荷に

感じてしまって、

 

人間関係が

うまくいっていないなぁ、

 

心当たりのある方は

一度、ご相談ください。

 

お待ちしています。