前号
では、“学歴差別”という
キーワードから、
私の高校生活の
実体験に基づいて、
私塾(学習塾)に通いながら、
有名大学合格を
目指していましたが、
結果、全てダメで
予備校試験合格まで
掲載させて頂きました。
今回はその続きです。
予備校では、
国公立大文系は諦めて、
私立大文系に
絞りました。
(勉強する科目数が
少なくて済むから)
そして、開講時に
現段階の実力を
知るための
予備校では
全校一斉試験が
ありました。
私自身は、
“曲がりなりにも、
3年間、高校生活全てを
犠牲にして勉強してきた
自負がありましたので、
浪人はしたけれど、
成績は上位クラスだろうと
思ってたのですが・・・・・、
ところが、
全校一斉試験の
結果は下位1/3集団でした。
まったく信じられなかった。
本当に性も根も
尽き果てた感じで・・・・・
“なんで、なんで・・・、
学歴差別するために、
学歴差別されないため、
その根源の恐怖心から
回避するために、
出来る限りの
最大限の努力をして、
高校生活の
醍醐味(クラブ活動・友達作り)を
我慢してきたのに、
その得られた対価は・・
この下位1/3集団の
順位なのか!?”
予備校で、隣で話す奴の
話を聞いていると、
3年間ひたすら
クラブ活動とアルバイトに
明け暮れていただけ
じゃないか!?”
“塾長が言っていた、
青春を楽しんだ
奴らじゃないか、
なんで、俺がそんな奴らと
一緒なんだよ!?”
3年間を勉強だけに
費やしてきた
自分自身に対して、
この悲しみ・悔しさ・
焦り・怒り・燃え尽き感を
前向きにさせる、
平常心に戻す言葉は
見つかりませんでした。
そして、同時に、
自分自身の中で、
何かが壊れていった
感じがしました。
予備校では、
親しくなった人には、
私の高校時代の
壮絶な体験話をしてみて、
“そうか、大変だったね”
“よく頑張ったよね”
とか
言ってもらいたかったんだ
と思いますが、
ほとんどの方の反応は、
“そんなに勉強して、
結果がこの程度・・・・、
バカじゃない!?”
って
蔑まれている感じを
受け取っていました。
それからは、
私の高校時代の
体験は誰にも
話しをしなくなり、
一人孤独を
感じながら
心が荒んでいったことを
記憶しています。
具体的には、
予備校での授業のための
予習、復習をしている最中、
とてつもない
恐怖心に襲われました。
自分が
今、勉強していることが
記憶されているのか、
理解しているのか、
不安だけが増幅されて、
一切、勉強が
手に付かなくなって
いきました。
自分のやっていることが
全く、信頼できなくて、
何をやっていても不安で、
不安で仕方なかったんです。
パニック発作のような症状も
何度か経験しました。
このような心理状態は
徐々には回復しましたが、
浪人1年目は
このような症状が続いて、
自信喪失であったので、
“勉強をする・記憶すること・
意識的に考えること”
が出来なかった。
当然ながら、
成績は下位1/3
集団から変わらず、
そのまま受験シーズンを
むかえてしまいました。
試験会場に行く前夜に、
高熱が出たり、
試験会場に行く道程で、
気分が悪くなって、
吐いてみたり、
心はズタボロ状態で
試験に臨み、結果、
受験した大学
(たしか10校程度)、
全て不合格でした。
当然と言えば当然の結果
だったと思います。
そして、どんな流れで
2浪することになったのか、
覚えていませんが
浪人生活2年目を
向えました。
文系大学のA判定を
模試では取っていましたが、
結局、最終的には
いわゆる有名私立大学には
合格できませんでした。
ただただ絶望だけしかなく、
考えてみれば
高校3年間プラス
浪人2年間で
トータル5年間も
時間を使って自分の多くを
犠牲にして、頑張ってみても
欲しい結果は
手に入らなかった。
本当に心底疲れ果てました。
私はこの5年間は特に、
そしてその後も
ずっと現在に至るまで
“学歴差別をしたい、
されたくない”
ということを
感じていたんだと、
安富 歩先生のお話しを
聞いて
気が付かされました。
“少しでも優越感を
感じたい、
劣等感を
感じたくない”、
“凄い出来る奴って、
思われたい”
“大したことない、
取るに足らない奴だと
思われたくない”
私の行動規範は、
“学歴差別をしたい、
されたくない”恐怖心から、
私はいとも簡単に
そのエネルギーによって、
動かされてきたということに
気付いたときに、
自分が自分であることが
心底に嫌になりました。
全く、自分自身の内側から
湧き上がってくる意思を
発揮することなく、
恐怖心からの回避思考で
自分の行動を勝手に
条件付けられてきた、
全くの操り人形状態で
あったことに
気が付いた時、
“本当に自分自身が幸せである”
ことを選べる人生を
生きたいと思った訳です。
そして、
私が操り人形時代には、
“両親の学歴コンプレックス
(大学の卒業していない
という劣等感)”
や
“学歴差別されてきた
悲しみ・怒り・恐怖”を
私も一緒に感じてきたんだなぁ、
と今なら理解できます。
私は、今でも、
面会した相手のFacebookに
記載されている
プロフィールを気にする
自分自身に
出会うことがあります。
そこに掲載されている
学校名・渡り歩いた会社・
キャリアだけで、
その方個人の価値を
判断してしまって、
“学歴差別”をやっている
自分自身に
出会うことがあります。
まだ、私に影響を
及ぼしているんだと
自覚しています。
もちろん、思考では、
“どんな学校、
会社にいたのか!?”
が重要ではなくて、
“そこに居て、何をご自身の
意思で成し遂げ
てきたのか!?”
が
大切だということは
理解出来ています。
でも、今、複数の
クライアント様からの
相談で、
“学歴差別したい、
されないように
有名大学、有名企業に
就職してみたが、
常に差別されないかどうか、
怯えている”
という趣旨の内容を受けます
(安富先生がお話し
されていたことと全く同じ)。
私は、
“学歴差別したい、
されたくない”
恐怖心を感じて、
受験に失敗しましたが、
その恐怖心を感じて、
受験に成功した人達も
また生き辛さを
感じているんだなぁ~。
と認識しています。
“学歴差別したい、
されたくない”恐怖心に、
無理やりコントロールされていた
経験を持っていて、
今、気が付いて
意識的になれる私だからこそ、
この種の生き辛さを
持っている方々の
相談にのることが
できると思います。
迷っていらっしゃる方、
一度、試しに
私に相談してください。
お待ちしています。