先日、友人に誘われて、
関東屈指の
パワースポットである
“三峰神社”に
参拝しました。
三峰神社は、
元フィギュアスケート選手で
あった浅田舞さんが
妹の真央さんのために
購入した“氣”という
文字が掛かれた
白いお守りを
もっていたことで、
大活躍をされたという
噂があって・・・・、
毎月1日のみ、
この白の“氣”守りが
販売されるということで
長蛇の列を作った、
ということでも
有名になった神社です。
私もその噂を
聞いていましたが、
期待はせずに、
まずは駐車場に到着。
拝殿は、標高1,100mに
鎮座しているので、
駐車場からも少し小高い丘を
登っていくイメージです。
駐車場から拝殿に向かって、
参道を上っていくと、
身体に感じる感覚が
変化していくことに
気が付きました。
だんだん、身体が
軽くなっていく感じ、
“ふぁ~って”重さを
感じる身体が浮き上がっていて、
唯一、地面と足が
接触している感覚、
を感じていました。
そして、拝殿がある
境内に到着した頃には、
とても強いエネルギーと
繋がれている感じがしていて、
“万能感”、堅固に
守られている感覚がして、
とても清々しく、
心地よい感じでした。
私自身は、1回/1か月ほど
いろいろな神社に参拝しますし、
境内にいる時の
“静寂観”
“凛として感じ”
は、以前にも感じていましたが、
今回の三峰神社が
別格に感じました。
そして、同時に、
この三峰神社で
感じる感覚は、
魔物であると思いました。
皆、
“幸せになりたい”
“お金持ちに成りたい”
“健康で居たい”
“願望を叶えたい”
などの欲望を
持つわけですが、
それに叶えることが
出来るだけの
“氣”であったと
思います。
ですから、
この“氣”が
途切れることを
不安に思ってしまって、
“過剰な信仰心を
持ってしまう”
“過剰に、お守り、
お護摩、ご祈祷を集めて、
自分の人生を
全てそれらに
依存してしまう”
などの
現象を自分自身でも
過去体験しましたし、
“守られたい”
“傷つきたくない”
“幸せになりたい”
“健康でいたい”
などの思いが
強すぎて、
無意識的に生きさせられて、
どっぷり霊性世界
(スピリチュアリティ)に
はまっていく人達も
沢山見てきましたし、
私もその一人です。
多くの方々が、
無意識的に、
“快・不快の法則”:
不快を避けて、
快を選んでしまう、
ことをやってしまいます。
これは、
自分自身の
不全感・空虚感に
よるところが
大きいと思います。
だから、
“全てがある感覚”
“万能感”に
繋がれていることは、
とても“快”であるのだ
と思います。
この神社参拝の
事例以外にも、
私は元々モーレツ
サラリーマンをやっていました。
自己啓発セミナーに
よく参加していましたし、
自己啓発本も
読み漁っていたと思います。
当時、週末は
池袋にあるジュンク堂書店
(座り読みコーナー
設置した草分け的存在)
のビジネス書コーナーに
居て、新刊本を眺めて、
めぼしい本を
ピックアップして、
内容を確かめている、
その状態にいる
自分自身を感じるだけで、
“優秀であること”
“出来る人であること”
として、
承認された感覚を
得ていたと思います。
全く、
無意識的に、不全感、
できない自分を
認めることが怖くて、
その恐怖心から
逃れるために、
ひたすら知識の
収集ができる環境に
身を置いている時に、
“満たされている感じ”
“万能感”を
感じることができたのだ
と思います。
しかし、
神社の事例にしても、
ジュンク堂書店の事例
にしても、
その“場”にいることで、
一時的に、“不全感”
から解放されているだけで、
自分自身はなんら
変化していない。
自身の人生を
振り返った時に、
むしろ、
どうしようもない
絶望、
失意、
落胆、
激怒
などを
乗り越えた時のみ
感じる感覚こそが
本当に必要なものであると
気が付き始めています。
自分が属する
共同体
(家族・会社・学校・地域・
都道府県・日本など)
において、
自分自身は、無意識的に
進化させられていく
のだと思います。
しかし、それは自分自身で
意識的に努力した結果ではなく、
無意識的になって
流された結果、
生じたものです。
ですので、意識的に
自分自身を
作り変えていくためには、
“快”な環境ではなく、
“不快”な環境と
その環境に
敢えて取り組む
姿勢・決意が必要になると
思います。
とても過酷で、
厳しい環境、
よく回避しがちな環境
こそが人間を意識的、
大きく成長させてくれると
信じています。
ある“場”に身を置いた際、
その“場”の影響を
良きにつけ、
悪しきにつけ、
少なからず、人間は受けます。
その時に、
無意識的に流されて、
その“場”と同一化することで、
快・不快の法則に
支配されて生きるのか、
意識的に生きて、
快・不快の法則に
縛られずいるかは、
自分次第であると思います。
無意識的に育てられるのか、
意識的に自分を
育てていくのか、
その“場”は
使い方次第であるということを
自分自身に戒めるため、
そして
心理療法を通じて、
クライアントに伝えるために
書きました。