最近、
よく目にする記事が、
“新型コロナウィルスに
よる肺炎”
に関するものがあります。
中国を中心に
感染が拡大しており、
都市:武漢を
完全閉鎖したり、
空港・鉄道・フェリーなどの
交通機関が運行を
全て停止したり、
中国政府は海外旅行を
事実上禁止にしたり、
WHO(世界保健機構)も
対策追われている
状況下にあります。
そして、
2月10日現在、
中国の感染死亡者数が
908人、
中国国内の患者の数は
40,171人
(厚生労働省ホームページ参照)
となり、
新型コロナウィルスが
猛威を振るっている
様子が伺い知れます。
この情報に
呼応するように、
表面化しているのが
“誇大妄想による風評被害”
であると感じます。
確かに、ウィルス感染の
可能性があるので、
中国;武漢渡航が
禁止されることは
理解できますが、
日本で感染者が
入院した職員の子供や
感染陽性が見つかった、
中国旅行者が
宿泊していた
ホテルの従業員に対して、
“うつさないでね”
“近寄るな!”
“ばい菌マン”
など
心無い言葉で
いじめが発生していたり、
差別されたりしている
現状がある訳です。
アメリカでは
アジア系の学生の
出席拒否を求める
署名活動が起きたり、
イタリア;トレビの泉の
近くにある飲食店では、
中国人の来店拒否する
貼り紙が掲示されたり、
欧米では予防措置を
実施しているようですが、
“アジア系に対する人種差別”
であるとも
報道されています。
先日、昼下がりの
混んでいない
電車に乗っていたら、
母子連れが乗ってきました。
子供が手すりに触ろうとすると、
お母さん:“そんなところ、
触っちゃダメ!”
って、
凄い剣幕で
怒っていました。
怒られた子供が、
子供:“なんで、・・・
(お母さんに向かって)
コロナウィルスうつるから!?”
お母さん:
“(唇に人差し指をあてて)
シィー(静かに!)”
という光景を目にしました。
実際に、中国でウィルス感染症
が起きているのは
事実ですが、
“自分も感染して、
体調が悪くなったら・・・!?”
“感染して、肺炎になって、
呼吸できなくなったら、
きっと苦しい!?”
などの
誇大妄想/予期不安
つまり恐怖心から
防衛本能が作動して、
そう考え始めると、
周囲の事物が
全て感染源に見えて、
“自らの身は、自ら守る
しかない”
という強迫観念からの
行動であると思います。
そして、考えさせられることが、
これらの反応/行動が
“正当防衛”なのか、
“過剰防衛”なのか、
ということです。
感染症による死亡例を見て、
適切に恐怖心を持って、
適切に予防することは
大切だと思います。
しかし、時に、防衛本能は、
我々の日常生活に
“過剰防衛”な反応を
作り出していると
私は思います。
そしてまた同時に、
“正当防衛”であるとも
私は感じます。
“正当防衛”を
やっていると思っている
人達から見れば、
“過剰防衛”をやっている
人達は“超”過剰で
あると見えるでしょうし、
“過剰防衛”を
やっている人達は、
自分達が“過剰防衛”を
やっているなんて
気が付いていないと
思います。
その方々、
それぞれが持っている
世の中を見る時に使っている
“フィルター”の違い
によって、
そして、自分自身が
創り出した
自分自身を安心・安全に
するための思考回路が、
発生した1つの現象を
全く違うものに
解釈されていると
思われます。
毎日、
“新型コロナウィルス”
関連のニュースが更新されて、
“感染者○○人、
死亡者××人、
〇×で感染者
が確認されました、
日本でも感染者が・・・。
中国政府は・・・・”
などの
情報をTV、SNS、
ネットTVなどで
数多く遭遇していると、
情報が飽和した
“過剰”状態が
作り出されている
感じがしています。
そして、
そのニュースを
見聞きした人達が“
過剰”な防衛手段を選択し、
その“過剰防衛”手段が
功を奏したら、
成功体験の記憶として、
今後も
その
“フィルター”
“思考回路”
が使い続けられると
思われます。
全く、“人間”って意識的
に生きていないですよね。
でも、逆説的に言えば、
意識的に生きるということは、
洪水のように
情報の濁流の中から
自分にとって
必要な情報を
意識的に選択して、
その情報に
流されるのではなく、
その情報を使える状態
であると思いますので、
前提条件である
洪水のような情報の
濁流は必要条件
であると思います。
これによって、
流されるのか、
自分に活かすのか、
いつでも心掛けたいのは、
意識的に生きて、
冷静であること、
これは自分次第である
と思いました。