前号
(⇒ 集団を統制するリーダーシップ)
で、今でも色濃く残る、
“体育会系”集団支配
体制について、
書かせて頂きました。
そして、新たなる問いとして、
“全く違った、際立った、
一見、水と油のように
見える個性的な
人達を、どのように統率して
いけばよいのか!?
という問いが浮かび
上がります。
前号でも、ご紹介したように、
“体育会系”集団
支配体制では、
構成員がリーダーの意に
背くことはない、
背く構成員がいれば
排除すれば
良かったので、最終的には
構成員全員がリーダーと
同じ考えをもつ。
しかし、
この体制では、
構成員個々人の
思考能力は、
リーダーを忖度する
ことのみに
充てられて、
新たな意見を
創造することに
充てられて
いないので、
リーダーの能力の
限界が集団の
能力の限界
という訳です。
これに対して、
“全く違った、
際立った、一見、
水と油のように
見える個性的な人達”
を統制することは、
極めて困難ですが、
統制が取れた時に
発揮できる潜在能力は
計り知れない
ものがあると思います。
では、個性的な、
多様性のある集団を
統制するための絶対条件と
はなんなのか!?
リーダーに求められる
条件とはなにか!?
最新のビジネス書に
書かれているようなことを
全て熟知している
人でしょうか、
それとも、
MBAホルダーでしょうか、
過去の事例を知識として
教えているビジネススクールが
ありますが、果たして、
その卒業生が個性的な、
多様性のある集団を
統制することが出来るかどうか、
と言えば困難であると思います。
知識で他人を
変化させることは
不可能だと思うからです。
もし知識で他人を変化させる
ことができるのであれば、
本を読むことで知り得た
知識によって、他人は
変化するはずですが、
実際には難しいのが
現実ですよね。
では、その条件とは、
知識や情報などではなく、
“リーダーの在り方”
であると思います。
人間が集団を形成すると、
よく言われる
2:6:2の法則が
働いて、
20%の優秀で、
指示がなくても上長の
意向を忖度して、
自ら行動を起こす人達、
60%の従順で、
指示があれば、
指示通りに行動を
起こすことが出来る人達、
20%の個性的で、
集団行動にそぐわない、
指示命令に従わない
人達がいる訳です。
前述の
“体育会系”集団
支配体制では、
最初の20%を重用して、
後の20%を排除、
60%の普通の
人達に対しては、
最初の20%になる様に、
“気合いだ、根性だ!”と
精神論を語って、
恐怖心を煽って
上長に忠誠を誓わせていく、
このリーダーシップでは、
約30%~40%の人達が
脱落してしまいます。
そして、また、新たな人員が
補強されても、
全く同じことが
発生してしまいます。
構成員全員に関わって、
“主流に流されず、
末梢を捨てない”
ためには、
やはり、
“リーダーの在り方”が
重要であり、
そのためには
リーダー自身が自分自身を
究極的に見つめて、自分に
向き合う行程が必ず
必要になると思います。
もし、リーダーが何かしらの
執着があり、それを
重んじていると、
“体育会系”集団
支配体制になってしまう、
かといって、
全く何の執着が
ない状態であれば、
20%の個性的で、
集団行動にそぐわない、
指示命令に従わない
人達を統率できないと
思われます。
ですから、優れたリーダー、
これからの時代の
リーダーシップというのは、
資質を両方ともに
持っていて、構成員全員を
理解するためには、
自らが大切にしている
価値観を横に置いておいて、
構成員の話を聞き、傾聴、
共感をして、人によって、
状況によって
全く対応を変化させること
が
出来る人のみが、潜在能力
計り知れない個性的、
多様性集団を一つの方向に
向けていくことが
出来るのだと思います。
では、リーダーシップを
持つためには、
どうすればいいのか、
という問いがあると思いますが、
何のためにリーダーシップが
必要なのか、という目的を
持つことで、
その目的は自分以外の
他人のため、
利他的であるということ
が大切です。
その目的を持った上で、
リーダーになって、
自分の考えと全く反対の
価値観を認められるように
努力して、今までだと
回避していた状況にも
覚悟を決めて立ち向かって
みることです。
そして、全ての経験に
良し悪しを付けず、
その経験から次世代に
必要なリーダーシップを
学んでいくことだと
思います。
決して、容易い道では
ありませんが、
(だから、何のためにという
目的が必要になる訳です)
知識でない
本当のリーダーシップは
この過程を通じてしか、
学べないと思います。
ご自身に向き合うことの
お手伝いは、
私がさせて頂きますよ。