先日、Webニュースで、
元格闘家である
須藤元気さん
(参議院議員)が
所属していた
立憲民主党に
離党届を出したということを
知りました。
理由としては、
“東京都知事選で
宇都宮健児氏を
支援する
立憲民主党の
方針に反し、
れいわ新選組の
山本太郎代表を
支持することや、
消費税減税をめぐる
党執行部との温度差をあげ、
野党は「消費税5%」の
政策で1つになって
戦うべきだと訴えた。”
ということが
報道されていました。
要は、
“所属する集団/グループの
方針には、従えない”
ということ、
そして、時を同じくして、
ジャニーズ事務所から
人気アイドルグループ
NEWSの
中心的メンバーである
手越祐也さんが
ジャニーズ事務所を退所する、
という趣旨の報道もされました。
これも、要は
“所属する集団/グループの
方針には、従えない”という
ことであったと思います。
かくいう私も前職を退職する時、
“所属する集団/グループの
方針には、従えない”
と思っていた
部分もありました。
人間には、
“寄らば大樹の影:
もし頼るなら勢力が
大きいものに頼るべきだ”
のような思考・感情があって、
この現代でも多くの人達が
意識的にも、無意識的にも
実践していると思われます。
なぜなら、その方が安心だと
思い込んでいるからです。
まず、人間が太古の
時代から個人で
生きるのでなく、
集団/グループで生きることで、
個人ではとても敵わない
外敵に立ち向かう事が
出来、集団/グループで
生活をおくることに
利得があった訳です。
集団/グループ内で、
それぞれの得意と不得意を
補え合えているうちは、
とてもバランスが取れていたと
思われますが、だんだんと、
“集団/グループに対して、
何かが出来る人は価値があり、
何かが出来ない人は
価値がない”と見なされ、
同じく
“向社会性”;所属している
集団/グループに対して、
寄与していないと見なされた
個人は、“異物”と価値判断
付けられて、その所属している
集団/グループから
排除されるようになる、
いじめを引き起こす
原理になる訳です。
ですから、長らく、
ある形を成している
集団/グループには、
必ず醸し出す雰囲気、
定められたルールが
あります。
例えば、学校で言えば、
校風であり、校則で、
会社で言えば、社風であり、
社則ということになります。
それで、この校風、校則、
社風、社則に従えない
人達が上述の
須藤元気さんや
手越祐也さんや
私自身になる訳です。
私が会社員時代、
確実に“強いリーダーがいて、
そのリーダーが
そのグループの雰囲気、
ルールを全て作り上げ、
構成員は全員
それに文句なく
従っていればいい”という
時期はありました。
その当時は、
グループ構成員は
グループから
排除されることは、
非常に恐ろしいことと
認識していたので、
その恐怖心・同調圧力から
自分自身がその雰囲気、
ルールに従うための合理的な
理由を見つけ出していた
と思います。
そして、少数派でしたが、
そのグループを
去っていく人達は、
“異質な奴”
“変な奴”
“空気を読めない奴”
などと価値判断付け、
去っていくことが
至極当然であるように、
合理的に理由付け
られていました。
しかし、時代は流れて、
多様性が尊ばれる時代、
個々の意見に
相違があるということが
重要であると
認識されるようになった
今、グループ構成員の方々に
意見を聞いてみても、
特段、目新しくなく、
去年の会議の時とほとんど
同じような意見で
あったりする訳です。
これは当然の結果ですよね。
だって、強いリーダーと
同じ意見で、それに従うことを
習慣化してきた訳ですから、
そのグループ構成員
でいるための
条件は、“自分の意見を
持たずに、リーダーの
意見に従うこと”であった
人達に、多様性重視の
時代になったから、
個々自分の意見を
表現してみて、
と言われても、
そんなに直ぐに
変われるものでは
ありません。
“寄らば大樹の影”的
思考である人達は、
その思考力を使わず、
何も考えず、ひたすら
上層部を忖度して
生きることが
最も安全だった。
しかし、今は、
空気を読まず、
間違っていることを
はっきり
間違っている”と
言える人、
自分の頭で、思考力で
考えることが出来る人、
意識的に自分の人生の
主役であると思っている人
がその目的を達成するための
手段として、
“枠外(集団/グループ)に出る”
ということが
珍しくなく行われるようになる
世の中になるかもしれません。
枠外(集団/グループ)に
出たいと思っているのに、
土壇場で足がすくむ人、
是非、ご相談くださいね。
あなたの勇気をお待ちしています。