それは悪行なのか、それとも・・・

ニュースで“安楽死”について

報道がなされていました。

 

私は以前、医療機械

製造・輸出入・販売の

 

会社に勤めていましたので、

この種のトピックには

 

興味があります。

 

今回の事件とは

全く関係なく、

 

“安楽死”について

日本社会においては、

 

まだまだ議論する

余地があり、私は社会的、

 

倫理的に受け

入れられている

 

行為とは全く思いません

 

ただ、近年、特に

完治しえない病気の

 

終末期に苦しんでいる

患者からの訴えで、

 

延命治療を行わず、

終末期を穏やかに

 

過ごしたいという

“終末期緩和ケア”

 

という考え

が発展したのは、

 

臨床医療にとって

大変喜ばしいことであり、

 

個々人が持っている

死生観を炙り出す

 

材料となって、

“生きること”と“死ぬこと”を

 

真剣に考える機会が

与えられていると感じます。

 

この安楽死という

概念を考えた際、

 

“病気による壮絶な

苦しみを抱えていても

出来る限り延命する”

 

という観点

 

“完治する見込みが

ないのであれば、

終末期は延命治療を

行わず、穏やかな

死期を迎える”

 

という観点

 

二律背反であり、

どちらかが絶対的に

 

正しいということは

ないように感じます。

 

延命治療することが

悪行なのか、

 

終末期緩和ケアすることが

悪行なのか、

 

一概に判断することは

難しいと感じます。

 

もう少し、身近な

事例でお話すると、

 

先日、幼い子供が公園を

走り回って、

 

こけてしまいました。

とても、痛そうです。

 

その子供は大声で

泣き叫び、少し距離を

 

 

置いてベンチに座っている

お母さんに、“助けて!”って

 

アピールしているようです。

 

しかし、お母さんは、

直ぐには近寄らずに、

 

“立ちなさい!”

“こっちにおいで!”

 

といっているだけで、

一向に子供に

 

近づこうとしません。

 

そして、散々、泣きわめいて、

お母さんが抱き上げて

 

くれないと諦めのついた

子供は、自らの足で

 

立ち上がって、

お母さんに歩み寄っていって、

 

この時ばかりは、お母さんは

子供を抱き上げていました。

 

この事例を見た時に、

助けを求めている

 

子供を近寄って、

抱き上げなかった

 

このお母さんは、

今流行りの言葉で

 

いうところの

 

“毒親”

“育児放棄”

 

でしょうか、

 

そして、全く逆に、

少しでも子供から

 

SOSが送られてきたら、

直ぐに助けに行く、

 

子供が転ばないように、

先回りして石を

 

どけておくようなことを

ずっとやり続けていたら、

 

それは良いお母さんと

呼ばれるのでしょうか

 

子供が自ら陥った窮地を、

自らの力で潜り抜ける機会で、

 

子供を信じて見守っている

母さんは悪行に

 

なるのでしょうか、

 

それとも、

 

本当に援助が必要で、

子供の援助希求を

 

感じ取って

行動しているお母さんは

 

悪行になるのでしょうか、

これも一概に判断することは

 

難しいと思います。

 

人間が物事を判断する際、

個々人が持っている

 

価値観に基づいて、

判断をしていると思います。

 

この個々人が持っている

価値観は、時代の趨勢に

 

起因したり、個々人の

経験に起因したりなどします。

 

例えば、私が新人で

入社した頃には、

 

今の言葉でいう

“社畜”であること

 

を求められるのは

当たり前で、CMソングでも

 

24時間働けますか?”

 

が流行って、

所属している会社・集団が

 

持っている方向性に対して、

服従する以外の

 

選択肢はなく、

 

“自分なりの考えを持って”

“自分の頭で考えて”

 

とは言われても、

 

“長いものに巻かれる”ように、

 

いかにも自分の頭で

考えたふりをして、

 

会社・集団の社畜に

なっていることが

 

正しいという価値観が

あったと思います。

 

また、ある個人が

意図的ではないにせよ、

 

不正を働いた事によって、

他人を傷つけた経験を

 

持っていて、その経験から

二度と他人を

 

傷つけたくないという

正義感を強く持って、

 

“不正は許さない”という

価値観に

 

執着するかもしれません。

 

このコロナ禍でも

見受けられる、

 

マスク警察や自粛警察などが

相当すると思われます。

 

ただ、大切なことは、

価値観はその立場や

 

状況、時代の持っている

集合意識によって、

 

全く真逆に変化することも

珍しくないということ

 

絶対的な価値観など

存在しないということ、

 

だと思います。

 

時に、理解に苦しむ政策を

とる国家があります。

 

時に、理解に苦しむ行動を

する集団があります。

 

時に、理解に苦しむ行動を

とる人がいます。

 

しかし、あなたが持っている

価値観も尊重されて、

 

相手がもっている価値観も

なぜそれを持つに至ったのか、

 

思いを巡らし、

多くの価値観を

 

理解できることで、

きっと楽に暮らせると思います。

 

偏って、

行き過ぎた価値観は

 

問題しか起こしません。

 

この偏って、行き過ぎた

価値観を持っている

 

人達以外を認めることが

出来ないからです。

 

偏って、行き過ぎた

価値観を持って、

 

日常生活を送ることが

辛い、息苦しい方、

 

ひとりで悩まないで、

是非、私に連絡をください。