今日は電車に乗っていると、
様々な人達に会いました。
おそらく、学校帰りで、
宿題ページを見ながら
友達と討議している
中学生の集団、
クラブ活動するための移動で、
先輩から後輩までの
集団で、部活内の
規律は
しっかりしてそうな感じ・・・・、
サラリーマンの上司、
部下達で、どこかに
移動している最中・・・・、
目上の人には席を
譲って、皆さんで
商談についての
打ち合わせですかね。
学生達の集団、
サラリーマンの集団を
見ていて感じることは、
皆さん、
“あるルールに従っている”
ということです。
学生達は、
朝方が雨降りで、
午後から晴れたので、
凄い湿度が高い
気象条件でしたが、
皆さん、学校で
指定されている
制服を着て、
指定された鞄を持って、
指定された革靴を
履いていました。
蒸し暑いから
軽装にしている
学生は、誰一人
いませんでしたよ。
サラリーマンの集団に
ついても、クールビズで
ネクタイは外されていましたが、
仕立てのいいスーツを
皆さん着て、だらしない
格好でなくいらっしゃいました。
おそらく、一番役職が
上と思われる年配の方を
席に座らせて、
周囲を若い方々が
囲んでいる状態で
適切に談笑されているなぁ、
って感じたんです。
なぜ、集団に属する人達は、
“あるルールに従う”
のでしょうか?
その従っているルールは、
いつ作り上げたものでしょうか?
人間は、生まれてから
数々の集団に属しますよね。
最初は家族で、
学校、クラブ、地域活動、
会社、社会、都道府県、
日本などに属しますよね。
その際、その集団メンバーで
いるために、様々な
ルールを守っていませんか?
ルールを守って結果として、
同じような言葉使い、
同じような発想、
同じような思考を
持っている人達が
集団を作り出す訳です。
この、“同じような様子”を、
学校でいえば校風、
会社でいえば社風、
都道府県でいえば
県民性などと
表現出来ると思います。
そして、人間は所属する
集団を変えると
従うルールも
変化しています。
当たり前と言えば、
当たり前なのですが・・・・。
人間の中には、
数々の集団に属することで
習得した数々の
ルールが存在します。
その場面に応じて、
自動的にルールを
守っている時があります。
現在属している集団と
過去にルールを習得した
集団が違っていても、
過去に習得したルールを
強く守っている
自分がいる時があります。
例えば、幼い頃、
両親がとてもせっかちで、
時間節約、
約束遵守という
ルールをとても
大切にしていた
家族メンバーで
あったならば、
きっと、ご本人は
このルールをほぼ無意識的に、
習得させられていると
思います。
そして、成人した際、
ご本人は既に
このルールを
習得した集団:家族から
離れているにも関わらず、
“せっかちで、
時間節約、
約束遵守”
というルールを
守っているということが
珍しくなく、
見受けられると思います。
同じく、
中高クラブ活動で、
先輩や影響力のある
指導者から“他人に
接する時は
笑顔を忘れるな!”と
言われて、
中高クラブ活動の
集団に属している時、
習慣付けていて、
卒業後就職、
つまり集団から離れて、
目上の人や
影響力がある人に
話しかけられると、
自動的に、笑顔を
取り繕っている人
がいると思います。
このように、
人間が身に着けている
思考パターン・行動規範・
感情などは、全て、
今までに属したことがある
集団で習得させられた
ものであると私は思います。
状況に応じて、
その習得させられたものが
複合的に機能して、
人格となって
表現されるのだと思います。
この人格は、
とても役に立つ時
と
とても邪魔になる時
があります。
役に立つ人格は、
そのまま使えばいいと
思いますが、もう必要ないし、
やりたくもないのに、
未だに誘発されてしまう
人格があり、
そのことによって
疲れてしまう時が
あると思います。
例えば、かつて、
ある集団に
所属していた時に
習得させられた、
一生懸命に
頑張らないと
いけないと思っている、
強くなければならないと
思っている、
他人を喜ばせないと
いけないと思っている、
完璧でなければ
いけないと思っている、
急がないと
いけないと思っている、
などです。
今もなお、
あなたはどの集団に
属していますか?
心理セラピーを
受けて頂くことで、
今、身に着けた
思考パターン・
行動規範・感情などの
邪魔になっている
ルールを、集団に属する
前にあった、
“ありのままのあなた”の状態、
習得したルールに
自動的ではなく、
自らの意思で従うか、
従わないかを決めることが
出来る自分自身を
体現することが出来ます。
是非、私にご相談くださいね。