前号
(KY:空気読めない奴)では、
人間が生まれてから、死ぬまでの
間に
様々なグループに属して、
そのグループで安心安全を
得るために、
グループ不適合者だと
思われないように、
グループ内の空気を読む
必要性があって、その習性は、
終いには、無意識的になり、
外部環境にしか意識が
向かなくなり、その弊害として、
感情機能を犠牲にしたことによる、
失感情症;アレキシサイミアや
思考機能を犠牲にしたことによる
思考停止をご紹介しました。
今回は、では、空気読めない奴は、
必ず
“脱落者”
“グループ不適合者”
“異端児”
として、ネガティブな意味合い
での存在でしかなかったのか、
という問いを立てて
書きたいと思います。
まず、イノベーションという言葉が
聞かれるようになって、
久しいですよね。
この言葉は、オーストリア出身の
経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが
定義した言葉で、
“技術革新”
や
“新たな価値創造”
などと日本語に訳されて、
ビジネス世界では
とても引用される
言葉であることは、
皆さんもご存知の通りです。
時代の流れと共に、
この世の中が人間にとって、
とても便利になる時、
“技術革新”
や
“新たな価値創造”
が行われたのだと思われます。
では、その
“技術革新”
や
“新たな価値創造”
を作り出した人達は
どのような人だったのか、
それは、端的に言えば
“現状否定”
が出来た人達だと思います。
今までに築き上げられてきた
文明に、決して満足せずに、
現状を否定し続けた
人達だけが出来ることだ
と思います。
そして、言葉にすれば、
とても簡単ですが、
実際に現状否定することは、
現状に満足している多くの
人達の抵抗に直面するので、
並大抵のことではありません。
人間が複数人集まった集合体では、
2-6-2(にろくに)の法則が働いて、
2割の革新的に優秀な人達、
6割の普通の人達、
2割の昔優秀であった人達
に大別できるというものです。
ビジネス書では
よく見かけるトピックです。
上部2割の革新的に優秀な人達は、
アイデアとして次々と
新しいものを思い付きます。
過去の経験/体験に捕らわれず、
知識/保存文書に左右されない、
それだからこそ画期的と
言われるアイデアを思いつきます。
しかし、6割と下部2割の人達には、
全く理解されないことが多々あります。
アイデアが過去の事例経験や
知識に依らないもので
在ればあるほど、理解出来ない
ものだと思います。
そして、6割と下部2割の人達は、
自分達がいる現状の
安心安全を犯されること、
環境変化を嫌がるために、
正当性を示して、
上部2割がいかに間違っているか、
を合理的な理由を使って、
論理的に説明し始めます。
これでは、集合体内に
相反するグループが出来てしまって、
目標達成は望めません。
この時、上部2割は、特に
下部2割の
人達を無視する、
配置転換する、
退職勧告する
などを行って、
是が非でも上部2割は
アイデアを強制的に
通そうと企てる、という
風景をサラリーマン時代に
よく見てきました。
上部2割が力ずくで
抑え込んでも、また、
別の下部2割が誕生する
感覚を受けました。
こう考えてくると、上部2割で
現状を変革していくには、
まず、“空気を読めない奴”
である必要がありますよね。
この、特性によって、
既存の知識に流されることなく、
過去の意見に染まることなく、
多数の抵抗勢力を
ものともしないことが
出来る訳です。
自分自身のアイデアを歪曲させずに、
表現することが出来る訳です。
そして同時に、
“空気を読める奴”になって、
6割と下部2割の人達に
共感することが
必要になってくると思います。
意見が合わない
“反対勢力”だからといって
、回避する/させるのは簡単ですが、
集合体10割の人を活かすために、
6割と下部2割の人達の
理解を得ることが大切になってきます。
世の中を変化させた人達は、
“空気は読めるけど、読まない”
という特性を
うまく利用したのだと思います。
一見
“空気が読めない”事が悪で、
“空気が読める事”が善に
思われがちですが、
前号でご紹介したように、
“空気を読む”にずっと意識を
向け続けたことによって、
自分の感情や思考が
わからなくなったりしますし、
“空気が読めない”ことによって、
周囲/他人からの影響を
受けづらいという特性が
挙げられるので、
一概に
“空気が読めない”事が悪で、
“空気が読める事”が善
とは言い切れないと思います。
“空気が読めない”というのは、
一つの特性であって、
欠点ではありません。
なぜなら、その特性による
利点もあるからです。
それでも、感情を感じられない、
感じな場面で思考停止が
起きてしまう方、是非、ご相談ください。
あなたの勇気をお持ちしています。