対人援助、尽くしてしまう人へ

私は

心理カウンセラー・セラピストなので、

対人援助職と呼ばれます。

 

世の中に、

対人援助職として

働いている方々は、

多くいると思います。

 

中には、

 

“他人のために尽くすことが

自らの喜び”

 

“利他の精神で働くことが

生き甲斐”

 

と言わんばかりに、

対人援助こそ

私の天職と

お話ししてくださる

方々がいます。

 

 

 

たしかに、

 

“他人のために”

 

“利他の精神”

 

は、非常に尊いと思いますが、

たまに“過度な”方々を

お見掛けします。

 

・身の回りに、

かわいそうな人がいると、

関わらないと気が済まない

 

・自分のわがままを

言ったことがない

(困っている他人が先で、

自分は後)

 

・弱音を吐いたことがない

(苦しいのは、困っている人で

自分が弱音を吐いている

場合ではない)

 

・他人を頼ったことがない

(他人を困らせてしまうから)

 

などを特徴と して、

対人援助として

 

他人に関わっていますが、

ご本人は自覚がないので、

気が付いていません。

 

 

 

この条件が全て、

私にもあてはまりました。

 

おそらく、対人援助職に

就いている方々は、

 

少なからず、

上記の気質は、

 

持っていますが、

ポイントは

“過度であるか”、どうかです。

周囲から見ていて、

 

 

その当人が幸せそうか、

生き生きしているか、

ご自身を大切に出来ているか、

 

どうかが重要なポイントです。

 

 

 

対人援助職を行う上で、

自己犠牲が過度に

 

なってしまうことで、

やればやるほど苦しくなって、

 

身体的症状にも

出ているにも関わらず、

 

“大丈夫、大丈夫”

 

 

“平気、平気”

 

と言って、

その場を取り繕っていますが、

 

まったく大丈夫ではない

当人を見たことありませんか?

 

なぜ自己犠牲が

過度になるのでしょうか?

 

 

心理状態として、

他人のお世話をすることで、

 

自分自身の存在・居場所を

見出しています。

 

これは、幼少期から

成育環境によるところが

主たる原因です。

 

幼少期に、

養育者(主に母親)との

 

関係性で、母親が仕事で忙しく、

いつもお留守番させられていて

(甘えることを我慢していた)

 

たまに会えると、

“お留守番、良く出来ました”と

母親から褒められた、

 

いつも夫婦喧嘩の後、

母親の愚痴聞き役を

することで家庭内での

居場所を確立していた、

 

幼少期、母親が病弱で、

いつも寝込んでいたので、

看病することで褒められていた、

 

などの経験を通じて、

他人のお世話をして、

 

喜んでもらえる

私は認められるけど

できない私は認められない、

 

という思い込みをもって、

大人になるので、

“過度な自己犠牲”を

してしまう訳です。

 

 

やり過ぎて、

自分自身が限界で

 

苦しくなっても、

自分の存在価値・役割・居場所を

 

ずっと確認して、

安心したいので、

 

自己犠牲が過度になることを

止めることができません。

 

では、

どのような回避策があるのか?

 

 

まずは、過度な自己犠牲を

行っている状態に、

ご自身が気付くことです。

 

 

過度な自己犠牲を

行っている時に感じているのは、

自分の存在価値・役割・居場所が

あることでの安心感

 

 

同時に無くなってしまうと

不安・恐怖という感情を
感じたくないので

過度な自己犠牲行動を

作り出しています。

 

ですから、

気付くことで、

感情に流されて行動することを

止めることができます。

 

その上で、

この言葉を唱えてみて下さい。

 

 

“私は私、あなたはあなた、

私はあなたの期待に応えるために、

生まれてきたのではありません”

(ゲシュタルトの祈りより抜粋)

 

あなたが

お世話している当人は、

その苦しい・辛い体験・経験を通じて、

何かを学びます。

 

その過程を尊重して、

見守ってあげることこそが

対人援助です。

 

過度な自己犠牲を

することが、

 

あなたのエゴ

(自分の存在価値・

役割・居場所があること

での安心感)を

 

満たすことに

すり替わっていることに

気付いてください。

 

 

気付いた上で対人援助は、

エネルギーが良質なものに

変わっていて、

全く別物になっていることを

保証しますよ。