感情労働からの・・・

私は新宿区歌舞伎町の

大久保公園周辺の

 

立ちんぼ浄化運動の

ボランティア活動に参加しています。

 

ですから、

 

“相手の状況”を

良く知らないといけないので、

 

立ちんぼ女子の背景、

思考・感情の動向、

 

ホスト・メンズ地下アイドルの背景、

思考・感情の動向

 

には、常に気を配って、

“なぜ、そのような行動を

し続けるのか!?”

 

を心理カウンセラーの

立場からデータを研究しています。

 

 

現在、

 

資料として読んでいる本

「歌舞伎町に沼る若者たち」

 

搾取と依存の構造:

佐々木チワワ著、の中で、

 

「感情労働」という

言葉が使われていました。

 

簡単に以下抜粋、

 

・“感情労働とは、

社会学者ホックシールドが

著書「管理される心:

感情が商品になるとき」で

提唱された

 

・人間はしばしば、

葬式では悲しそうに

するべきといったTPO

そった「感情規則」を

使いながらコミュニケーションする

 

こうした「~すべき」感情を

商業的に使用するのが感情労働

 

感情労働には、

「表層演技」「深層演技」がある

 

「表層演技」とは、

本当の気持ちは“この客嫌だ”と

思っていても、

接客態度には一切出さない

 

「深層演技」とは、

自分自身さえも騙して、

演技というより、

“成っている”状態。

 

俳優がゾーンに入った時、

その人物を演じるというより、

“成っている”状態

 

抜粋終わり

 

表層演技は、

私も含めて皆さんも

 

経験したことあるん

じゃないでしょうか!?

 

人間関係で合わない人がいて、

“嫌い・合わない”と

 

表現してしまうと、

利害関係に

 

大きく影響することが予想され、

体裁を保つためにも、

 

表層演技をすることにしたケース、

ありませんか!?

 

 

そして

 

深層演技についてですが、

皆さんは俳優が

 

商業的に演技として、

その人物になっている状況を

 

テレビや映画館で

観たことあると思います。

上記の“商業的”という

定義からズレてしまいますが、

 

皆さん、深層演技、

日常生活でやってませんか?

 

ある人格があって、

その人格を“着用”すると、

 

その人格に付随する

感情がごく自然に

 

表現されるような

体験されたことありませんか?

 

あまりにも、

当たり前にやってしまっているので、

 

演じているという自覚は

感じられないと思います。

 

例えば、

 

会社に居る時は、

有能な会社員の人格を

 

“着用”するプロセスとして、

家で身支度をして、

 

男性ならば

クリーニング上がりのYシャツをきて、

 

タイトなジャケットに腕を通して、

アップルウォッチか高級腕時計をしたら、

 

女性ならばメイクをばっちり決めて、

鏡にむかって“今日も私イケてる”って

 

呟いて、少し高めのヒールを履いたら、

スイッチが入って

 

ある人格が最前面に

出てきませんか?

 

 

最近、

 

よく使われる言葉でルッキズム、

の影響で、無意識の内に、

 

周囲の他人達に

皮肉ともとられかねない

 

マウントをとる言動をしてしまう、

スイッチが入ってしまうと

 

深層演技になっていて、

その最中はほぼ自覚がない、

 

家でよくできる妻の人格を

“着用”して、朝・昼・夜の食事は、

 

栄養面のバランスを

しっかりと考えて、

 

食卓に並べ、

お掃除も決して手抜きせずに、

 

お風呂掃除から

全室の掃除機掛け、

 

子供の習い事の送迎もして、

夜、旦那が帰宅した時、

 

溜まった愚痴を聞いて

欲しかったが、

 

“(主人は)きっと疲れているから、

愚痴は迷惑だろう”と思って、

我慢した、

 

ご自身が持っている

優秀・有能な会社員、

 

妻の配役イメージを

深層演技していませんか?

 

その深層演技をして、

本当は疲れ切ってませんか?

 

 

スイッチが入っていない時間

(自分自身をリラックスさせる)がある、

 

ということを自覚している人は、

ココロのお悩みになりにくいです。

 

問題になるのは、

 

“着用”した人格"

“着用”前の自分

区別がつかなくなる、

 

もしくは、

 

“着用”した人格が

脱げなくなることが

起きた時です。

 

24時間、365日、

自分の弱い、

 

できない、

情けない部分を

 

周囲に対して見せられず、

“着用”した人格の下は、

 

不安・恐怖を感じて

身体が震えている状態で、

 

その人格がヨロイの

役目をしてくれているので

脱げなくなっている訳です。

 

そして、

 

その“着用”した人格を

脱がない状態が続くと、

 

身体が壊れてしまったり、

精神的なバランスを

崩してしまいます。

 

脱ぎ方は、

少し勇気が必要ですが、

その“着用”した人格が

 

決して悪いものではない、

と認めてあげることです。

 

 

周囲の他人達に、

自分の弱い、

 

できない、

情けない部分を

 

見せることは、

決して恥じること

ではありません。

 

人間は

 

欠点

(ドジで、おっちょこちょいで、

不器用など)に

 

よって、周囲の

他人達から愛されます。

 

完全完璧なあなたを

深層演技することではありませんよ。